KAKKA is not 閣下

Drivemodeというシリコンバレーのスタートアップでエンジニア、2019年9月に某自動車会社にExit、某自動車会社のDX推進のリード、「みてね」のエンジニアリング組織マネジメント。 CSP-SM(認定スクラムプロフェッショナル)、メタルドラマー。 ex:Drivemode(Honda), Drivemode、リクルート、MIXI、NAIST Twitter→@KAKKA_Blog

絶えず灯り続けるアジャイルのこころ

お久しぶりです、KAKKAです。
ex-MIXI Advent Calendar 2023の最終日の記事として書かせていただきます。
今回は特に僕のアジャイルキャリアについて特に振り返って考える機会があったので、アジャイルキャリアについてフォーカスを当てて書きたいと思います。エンジニアも2足の草鞋でやっていましたが、この記事では技術的なお話はごっそり省略していてます。
もう会って話すこともできないし、文章で書いても届かない人向けに、それでも文章として残しておきたい感謝の気持ちを合わせてここに記したいと思います。

アジャイルキャリアスタートと最初のコーチとの出会い

僕のアジャイルのキャリアのスタートは新卒で入った会社である株式会社ミクシィ(現MIXI)からスタートしました。
このブログの過去記事でも書きましたが、2012年頃に全社的にアジャイル変革が行われました。その頃は日本でもまだアジャイル経験者は豊富ではなく、社内でも人材は非常に限られていました。よって現場のほぼすべてのチームは自習によるスクラムを始めざるを得ませんでした。
僕は当時から非常にプロダクト志向なエンジニアでして、自分一人の頑張りよりもチームのパフォーマンス向上のほうが重要であると思い、その中核を担うスクラムマスターの役割を積極的に担うように動いていました。もちろんこのタイミングで初めてスクラムマスターの役割を担うため、右も左もわかりませんでしたが、社内で一人だけ高原さん(仮名)という認定スクラムマスターのライセンスを保有し、様々なスクラムチームの支援を行っていた方がいました。僕もそのコーチにサポートしていただいていたうちの一人ですが、比較的僕のチームに重点を置いて、時間をかけてサポートしてくださっていました。様々なアドバイスが参考になったのはもちろん、僕自身の良い変化をしっかり観察してくださっており、スクラムマスターとして「良くなってきた」とフィードバックいただけたことは、とても嬉しかったとともに、自分に自信を持てた一言でもありました。

僕はこの頃はアジャイルリーダーとしてのキャリアは全く想像もしていませんでしたが、振り替えるとここでの経験や高原さんのサポート・評価が今の僕を作った原点と言っても過言ではありません。
この頃高原さんから受け取ったアジャイルのこころは、僕のこころにも確実に灯り、後に大きな炎へと成長することになります。

スクラムマスターの経験が予想外に生きた2社目

リクルートの内製での新規プロダクト開発に興味を持って、エンジニアとして転職をしました。この頃、リクルートでは事業の内製化に非常に力を入れており、同時にアジャイルの導入もこれから始まるという段階でした。案の定、前職のミクシィで見てきたように、チームにはスクラムが導入されるものの、経験者があまりいないという状況にまた遭遇しました。そしてこのチームでスタートアッププロジェクトの結果を出すにはしっかりとスクラムを再導入する必要があると感じ、少しでも経験値のある僕自身が抜擢され、スクラムマスターを担うようになりました。
幸いにも、認定スクラムマスター研修を受講でき、Certified ScrumMaster®のライセンスを取得したり、日本でも数少ない外部のアジャイルコーチにサポートしていただけたりと会社からの支援も重なり、とてもいいスクラムチームになりました。スクラムマスターとしてチーム全体からも非常に信頼していただいたのも印象的です。隣のチームのコーチを担当することもありました。また、外部のアジャイルコーチはこのチームは本当に良いチームだとフィードバックをいただけたのも良い経験で、「これが良いスクラムチームなのだ」と認識できたことで、理想のスクラムチームのモデルを頭に入れることができました。
ずっと後に気づきましたが、なぜこのチームが良いチームになったのかは、十中八九、アジャイルマインドセットを持った人たちが集まったスタートアップチームだから(クレイグラーマンの法則)、というのが答えだと思います。
非常に好きな環境だったのですが、わずか一年で去ることになりました。本当はもっとここで働きたかったのですが、スタートアップの本場シリコンバレーの、アーリーステージのスタートアップであるDrivemode, Inc.という会社にご縁があったためです。

シリコンバレーのスタートアップDrivemode, Inc.

Drivemodeには7年も在籍しており、ここでの学びを語りだすととても長くなってしまいます。このブログにもDrivemodeに関する記事はいくつか書いていますのでかなりシンプルに書きたいと思います。
入社時は社員2名、ファウンダー4名という本当に初期フェーズのスタートアップでした。会社全体が1チームで常に動いてました。スクラムマスターという役割はとても好きだったのですが、エンジニアと兼務するとどうしても時間的制約があったため、次こそはエンジニアに集中できるぞ、しかもメンバーはすごい人達ばかりだと、非常にワクワクしながら入社したのを覚えています。
スクラムの知識経験はあったのでそれを活かすバリューストリームの改善は入社直後からやったのですが、本当にそれくらいしかやっておらず、あとは会社全員が一丸となってプロダクト開発を必死にやっていたら勝手にアジャイルになっていたというのが非常に印象的でした。
シリーズAあたりから組織の成長痛を感じるようになりましたが、僕自身のアジャイルの知見をアップデートし、組織課題を提起することで変革のきっかけが作れました。そうこうしている間に2019年にホンダにEXITすることになります。
当時はこういった僕の課題提起の行動がメンバーから非常に煙たがられていたと思いますが、こういうキャラクターだったからこそ、ホンダのDX推進のリードを任していただけたのだと思います。

シリコンバレースタートアップから大企業のDX変革

この頃からアジャイル変革を大胆に行うようになりました(アジャイル変革はDX変革のうちの一部分です)。このころから何チームものアジャイルコーチ業務も本格的に行いましたし、丸3日のオリジナルアジャイルスクラム研修もスタートし、何度も何度も開催しました。研修は単なる座学ではなく、習熟度を上げるようにとても工夫しており、一度に受講できる生徒は10名程度に絞らざるを得ませんでしたが、この時点でも研修受講者やサポート対象者は100名を軽く超えていました。
これらの活動は少なくとも「うまくいっていない」という感覚はなく、DX変革のスコープで見ても確実に前進していることが自分でも感じられました。何と言っても変革対象組織の方々からとても信用をしていただける実感が日々大きくなっていったのです。
DX変革は一般的にとてもむずかしいもので、その成功の定義も曖昧ですが、成功率は10%程度だという情報もあります。そんな中でたった一人で数百名の組織のDX変革の結果を残せているのはとてもやりがいを感じられましたし、社内でも評価され、僕を信用してくれた人たちがついてきてくれ、組織としてDXを変革を行う流れにもできました。
しかしながら申し訳ないことに転職をすることになりました。

MIXIへの再入社と高原さんとの再開、モダンな組織へのアジャイル再導入

MIXI創業者である笠原さんから声をかけていただき、MIXIに再入社することになり、みてねのエンジニアリング組織のマネジメントに現在も従事しています。
MIXIは10年ほど離れていましたが、10年前に在籍していた懐かしのメンバーもいらっしゃり、ワクワクと自分を受け入れてくれるかの不安が混ざったような気持ちでしたが、入社後はその不安は一瞬で消え去りました。
また、僕のアジャイルキャリアのスタートを作ってくれた高原さんも同じ組織にいました。「スクラムもいいけどやっぱり稼がなきゃいけないと思ってエンジニアのフォーカスしている」ということでエンジニア職として活躍されていました。

みてねは非常にDeveloper Experienceの高い組織だなと感じてはいましたが、アジャイルに関してはなんかしら良い変革ができる余地がありそうだとも感じていました。入社後に真っ先に取り組んだ変革アクションはやはりアジャイル変革でした。構造を整える、研修を行う、コーチングサポートを行うという大手製造業でも行っていたことは、みてねでも通用するどころか、そこを丁寧にやることがDeveloper Experienceにクリティカルに効果が現れると確信しました。

組織に受け入れられ、灯り続けるアジャイルのこころ

高原さんは「今はエンジニア」と割り切っていましたが、僕が社内でアジャイル系のイベントを行うときには高原さんも積極的にサポートくださったりもしました。やはりアジャイルのマインドは絶えず灯っているのだなと僕は非常に嬉しく思いました。
そして徐々に高原さんがエンジニアから再びアジャイルコーチの役割に興味を持たれるようになってきました。リソース調整は必要だったものの、10年前に僕にアジャイルを伝承していただいた師匠とまた一緒にアジャイル変革できるのかと僕はワクワクしていました。



僕が入社してからスタートしたアジャイル変革は持続的に良い影響をもたらしていると実感しています(僕自身はきっかけを与えたのみで、すごいのは組織なのですが)。


丸3日のアジャイルスクラム研修を何度も受講したいと申し出る人がいること。

サポートしていた1スクラムマスターがめきめきと成長し、自信に満ち溢れた振る舞いをするようになっていったこと。またそれに従って周りのチームメンバーの信用が一回り大きくなっていったこと。

みてねの組織Valueを改変し、Be Agileを含められたこと。

チームメンバーにとってもスクラムの再導入が非常に好感触であること。
みてねのスクラム開発で私が感じたこと - mitene / FamilyAlbum Team
スクラムの本格導入による開発プロセスの変化@みてねプロダクト開発部 MERCHチーム - mitene / FamilyAlbum Team

これまでチームで悩んでいた人が、今めちゃくちゃいいチームだと笑顔で話していること。

研修などの活動がみてねの組織を超えて、全社に広がっていってること。

この経過を見ると、アジャイルという価値観は少なくとも衰退の気配を感じさせません。僕が理想モデルとして頭の中にある良いチームに近づいていっていると感じています。そしてそれはきっと高原さんも納得するものになってきていると思います。
経営判断としてもちろん常にアジャイルファーストであることはないのですが、それでも現在のところ価値がなくなる未来は見えていません。

しかしながら、高原さんがアジャイルコーチの業務に興味を持たれ、僕がまた一緒にアジャイル変革できるというワクワクは、叶わず今に至ります。

意外にも、一緒にアジャイル変革に携わることができなくてすごく惜しい、という気持ちはそれほどありません。なぜなら高原さん目指したいと思っていただろう状態に向かって僕らは着実に前進しているし、それを実現できるリーダーたちもいるからです。そしてこれらの変革のきっかけが僕だったとしたら、そのスタート地点を作ったのは高原さんなのですから。


10年前、高原さんから受け取ったアジャイルの灯火は、僕にも灯り、今では多くの人々にも灯り始めています。
少なくともみてねでは、この灯火が日々強くなってきています。
それが「世界中の家族のこころのインフラ」を実現するのにとても貢献してくれると思います。

あなたのその存在に感謝したいと思います。本当にありがとうございました。